Home > ビジネス > 日本の都市景観について、そして黒川温泉の町並みから看板を排除した成功事例

日本の都市景観について、そして黒川温泉の町並みから看板を排除した成功事例

鎌倉ポスト EVnote

都市の景観日本、アジアの都市の景観、要するにネオン、看板、ポスター、シール、etc…と言った町並みには危機迫るものがあります。


なぜ日本の街は広告が多いのか?都市景観について

1 ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη :2007/02/14(水) 05:18:44
街の風景の一部でもある広告
ネオン、看板、ポスター、シール、etc…
本当に必要なのだろうか?景観を無視してまで広告を出す会社
アーティスト気取りで広告をつくる業者
隙間があれば広告を…

15 ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη :2007/03/13(火) 21:36:51
>>2の商売大国ってことに加えて、景観の規制が少ないこと、
国土が狭いこと、景観にたいする国民の美意識が薄いこと、
これ以外ある?
いずれにせよ、>>1のスレタイは、なぜ広告が多いのかを議論
するようにとれる。そんなことしても仕方無いっての。

27 ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη :2007/04/24(火) 01:51:07
>>2
アジア独特の感性っつーか、景観に無関心なだけだと思う。
無関心で民度が低いと、どうしても全体を考えない無秩序な方向へ行ってしまうと思う。

256 ФゝФ〕Иαηα∫н!∫αη :2007/10/22(月) 21:05:11
パリは凄いねマリーアントワーネットがギロチンかけられた頃の
町並みがそのまま残ってんだから。
東京はその対極にあるけど、東京の魅力はそのダイナミズムでしょ。
古くなったらじゃんじゃん壊して新しいものを立てる。

なぜ日本の街は広告が多いのか?都市景観について

九州、黒川温泉の成功事例

黒川温泉(くろかわおんせん)は、熊本県阿蘇郡南小国町にある温泉街。
近年、マスメディアなどでの温泉ランキングで日本一に選ばれたことがあり注目を浴びている。

基本的に全旅館に露天風呂があり、旅行者は「入湯手形」を購入することにより、ほぼすべての旅館にある露天風呂のうち3カ所まで選んで入浴することができる仕組みになっている。杉の木を利用した『手形』は旅館組合事務所で入手できる。

温泉街にありがちな歓楽的要素や派手な看板を廃し、全体に統一的な町並みを形成するなど、意欲的なマーケティングを行っている。有名になったのは、2000年以降。

「入湯手形」とは
料金:手形1枚1200円(一人様1枚ずつ必要)
利用回数:3回
有効期限:6ヶ月間有効(購入時に日付けをスタンプします)
利用時間:午前8時30分~午後9時

黒川温泉

黒川温泉を変えた一言

もともと空港から遠く、非常に利便性の悪い地域にある温泉街でした。
観光客も少ないので、たまに訪れる観光客をわれ先に客として招きいれようと、各温泉が大きな看板を出し、山間の雰囲気はひどかったと聞いています。

人気の少ない山間で、看板だらけの温泉街。

中の人が、タダでさえ少ない観光客を競って取るために景観を見出し、観光客を遠ざけるような今の状況を辞め、きれいな景観を取り戻し、地域で一体となって観光に取り組んでいこうと声をかけたのです。

黒川温泉活性化きっかけ「湯めぐり手形」

 客を引き留め、リピーターを確保できる、黒川温泉のセールスポイントは何かを摸索した結果、候補として挙がったのが露天風呂と田舎情緒であった。また、単独の旅館が栄えても温泉街の発展にはつながらないと考え、温泉街一体での再興策も練られるようになった。その他、様々な案が浮かび上がっては消え、試行錯誤の連続であったが、1983年から入湯手形による各旅館の露天風呂巡りが実施される。もっとも、この企画も大々的なPRを行わず、後は口コミによる観光客増加を待つのみであった。また、この頃は修学旅行生も頻繁に受け容れており、手頃さも売りにしていた。そういった地道な活動の結果、今に見る隆盛に漕ぎ着けたのである。

 総ての旅館の協力のもと、「入湯手形」により、日帰客も含めて、何処の露天風呂も入れるという仕組みは、画期的であった。この企画が大ヒット、話題となって、黒川温泉が人気温泉地として飛躍するきっかけとなった。今や黒川温泉といえば、「入湯手形」だが、その誕生のきっかけは次のとおりである。

 1985年(昭和60年)7月、組合で野沢温泉を視察、外湯めぐりにヒントを得る。
 一軒のみどうしても露天風呂が作れない旅館があり、「共生」を理念とした湯めぐりの発想が沸く。

 1986年(昭和61年)「入湯手形」をスタート。ただ、旅館組合でも確たる見通しがあって始めたわけではない。実際、開始当初は「手形」が捌けず、各旅館に割り当てて引き取ってもらうことすら考えた。

 同年秋頃から全国的に秘湯ブームとなり、次第に軌道に乗った。

 1986年12月の熊本日日新聞の広告企画で、熊本県内でブームになった。この時に、それまでそれぞれの露天風呂に「○○の湯」という愛称をつけることにした。

 1987年(昭和62年)2月、個々の旅館の広告看板を撤去、マスコミを招き報道してもらう。
 以後、福岡地区等でキャンペーンを図る。

 旅館組合にも「入湯手形」の販売により、一定の収入が入る仕組みになっており、組合の財政を潤し、それがさらなる環境整備、キャンペーン費用に充当できるなど、好循環を形成している。

黒川温泉 -wikipedia


おすすめエントリー


注目エントリー

コメントをどうぞ






Comments links could be nofollow free.

トラックバックURL: http://evnote.net/2009/01/07/business/1139.html/trackback

最近の記事

過去の記事

人気ページ

タグ

あわせて読みたいブログパーツ
フィードメーター - 鎌倉ポスト EVnote
鎌倉にもおいで!